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廃線跡をゆく・名鉄尾西線(玉ノ井~木曽川港間) [ウォーキング日記]

日曜(16日)久々の廃線跡探訪に出かけました。今回は名鉄尾西線(弥富~津島~名鉄一宮~玉ノ井)の、玉ノ井から先の、戦前まであった木曽川港までの廃線区間です。
明治31年開業の「尾西鉄道」が、一宮から木曽川方面の路線として大正3年に新一宮~木曽川橋間を開通させ、4年後には貨物線としてその少し先の木曽川港まで開通、当時は木曽川橋から徒歩で道路橋を渡り対岸の笠松まで連絡するための重要路線としての地位があったそうで、昭和10年に名岐鉄道線の新一宮~笠松間が開通したのを機に、木曽川港までの区間はローカル支線に転落してしまい、結局は昭和19年、戦時中の不要路線に指定され奥町~木曽川港間は営業休止となり、以降は昭和26年に奥町~玉ノ井間が再開したものの玉ノ井から先は休止のまま、昭和34年に正式廃止となりました。
さて、探訪当日は一宮駅前まで車で、名鉄一宮から玉ノ井行きに乗車しましたがまさに発車寸前、あわててトランパス(共通乗車カード)で改札を通ったものの、
尾西線の支線で使えるのか・・・?と焦りましたがそれは杞憂、終点玉ノ井駅はすでに自動改札となっており・・・末端の支線とは思えぬ近代化に少々驚きましたね・・。

この玉ノ井から先が廃線区間なので、旧線とほぼ同一に走る市道を北に向かい歩きます・・。
すぐ先に、
玉ノ井の地名の由来となった、霊水で知られる”賀茂神社”があり、境内の片隅に積み上げられた枕木が・・・(写真左)果たして尾西線のものなのかは不明ですが気になります。ちなみに戦後、奥町~玉ノ井間が再開された際、地元住民が資金を出し合って枕木を寄付した・・・という逸話があり、その残骸かも知れません。

途中の”里小牧”駅の跡(写真右)・・・今は喫茶店の駐車場になってます。
その北、旧名岐国道(現県道)の陸橋、鉄道線をオーバークロスしていた名残です。

↓旅客の終点、木曽川橋駅跡・・・有志の手によって立てられた説明看板です

↓さらにその北にあった、木曽川港駅跡。ここは大正天皇が皇太子時代に訪問されたことを記す記念碑・・・尾西鉄道の社名が入っています。

ここはもう木曽川の堤防で、来た時はすっかり日が暮れて・・・探訪はここで終わり、僕は歩いて黒田駅(名古屋本線)まで・・・帰途に着くのでした。

木曽川港駅跡




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